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株式会社溝口石材工業
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北海道の石彫歴史探訪
忍路神社
作業現場から程近いところに、研ぎ出しによる真新しい鳥居と「郷社 忍路神社」と彫られた社標が見えたので、仕事の合間を見て境内を散策する。
最初に見かけたのは神殿前にある札幌軟石で造られた狛犬でした。相当風化している台座の上に、目玉が顔から突き出していて全体にぽってりした膨らみがある作品です。
大正15年に製作されたもので寄贈者の名が彫られていました。小さくて可愛いらしい子供の狛犬が、愛嬌のある表情で製作した石工の思いが伝わる作品です。
忍路神社神殿の左側に水天宮があり、彫刻の細かさと色合いが人目を引きます。この建造物も歴史が古いとの事ですが、傷みも少なく古さを感じさせない重厚な造りに感じられました。そしてここに見える白御影石で製作された鳥居がなんと天保12年(1841年)辛巳孟春吉且に造られた作品に驚かされました。特に痛んでいるところも無く八幡型の素晴らしい鳥居でした。
鳥居の真後ろに御神燈と刻されたこれも白御影石で製作された神前灯篭があり、これも嘉永3年(1850年)庚戌正月と刻まれ、北海道で見られる江戸時代の作品にまたも驚かされました。忍路神社はは北海道の石彫歴史の宝庫かも知れません。
水天宮神殿前には硬石で造られた狐の石造が左右に配置され、これも相当古いものだと感じられるのだが年号は刻まれていなかった。台座に彫刻もされ全体的に纏まった美しい作品であり、技術的には相当手馴れた熟練の石工の作品ではないかと思われる。
忍路神社にはもう一つ神殿があり、その前には神前型の灯篭が設置されていて、明治2(1869)年己正月日と刻されていた。灯篭の受けが逆さまに取り付けてあったのは、一度倒壊した灯篭を素人が再び付け直したからであろう。 長い階段を上るとそこには台座の高い忠魂碑あった。硬石で作られた碑には乃木希典の直筆が彫られていた。忠魂碑とは各戦争で国に忠義を尽くし、出兵でお亡くなりになられた方々の魂を慰霊する慰霊碑です。
神風特攻隊の生みの親「大西滝次郎」のお墓
忍路の住人で今回お世話になった信太氏より、墓地に特攻隊(特別攻撃隊)を指揮し、最後切腹した大西氏のお墓があると教えられ、忍路墓地へと向かった。調べによると大西滝次郎提督は「特攻は統率の外道」としながらも、祖国の危機に「今の祖国を救えるのは、大臣でもなく軍司令部総長でもなく、諸君たちしかいない。命を捨てて特攻に望む諸君らは最早神である。諸君らの戦火は、必ず自分が陛下にお伝えする」と涙を流して訓示したが戦争に敗れ、部下達に対し責任をとるために軍令部次長官舎にて切腹した。墓石正面には「大悲無倦」と刻されていた。
小樽のストーンサークル
ストーンサークルとは縄文時代後期のお墓で、生活の場所との区別や目的などのために環状・円形に石が並べられているものをストーンサークルと呼びます。約4,000〜3,500年前につくられました。北日本に多く見られ、最近の調査の結果、弔いの儀式も行われていたことがわかってきました。
国指定史跡 忍路環状列石
小樽市の市街から西に約20kmほど行くと左手に標高約130mの三笠山と呼ばれる小さな山があります。忍路ストーンサークルはそのふもと、標高約20mの緩い斜面を平らにした上にあります。長径33メートル、短径22mの楕円形に石が置かれていますが、近代になって何度か手が加えられており、造られた当時とは異なったところがあるようです。
北海道指定史跡 地鎮山環状列石
忍路ストーンサークルの西側、約1kmの地鎮山(標高約50m)の頂上に位置し、12個の立石が長径10m、短径8mの楕円形に並べられています。昭和24(1949)年に行われた発掘調査ではサークル内側の石を敷き詰めた下から、たてよこ2m、深さ1mのお墓が見つかりました。土器などの副葬品は見つからなかったのですが、お墓の底にもていねいに石が敷き詰められていました。
小樽市教育委員会パンフレッドより
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