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沖縄県のお墓について

 沖縄県のお墓と申しましても一口には言えませんが、その形状から「亀甲墓(かめこうばか・きっこうばか)」と「破風墓(はふばか)」と「掘抜き墓(ほりぬきばか)」と呼ばれている。また、沖縄県では墓のことを「はか」とは呼ばず、「ばか」や「ぱか」と発音され、北海道では見られない独特の形と巨大さに目を見晴らされます。近年一億円ほどの費用をかけたお墓が建立され、地元でも話題にもなっているようで、沖縄県民の先祖供養に対する想いが感じられるお話でありました。
 昔のお墓は、洞穴等を利用した「掘抜き墓」でありましたが、現在のような「亀甲墓」や「破風墓」等に見られるように、この様に多様な形になったのは比較的新しい時代に建設されたものである。
 沖縄県のお墓が巨大なのは、「門中」と呼ばれる親族の集まりが一つのお墓を共用するために、その内部を大きくしなければならなかった事と、1950年代半ばまで行われ、現在でも焼き場の無い島でも続いている沖縄県独特の自然葬による“洗骨”と呼ばれる儀式によるものである。
 洗骨とは、遺体を一定期間(1年〜7年)お墓に納め、「ユタ」と呼ばれる霊能力者の指示により奇数年度に一度その儀式が行われ、その家に嫁いだお嫁さんが風化したその遺体を海で洗った後、泡盛で清め新たな瓶(ジーシガーミ)に納める儀式のことである。また、この事が出来ない嫁は一族とは認められず、離婚の対象にもなったようである。この沖縄独特の儀式により、一時的にお棺ごと遺体をお墓に納める広い納骨室を必要となり、必然的にお墓そのものも大きくしなければならなかったようです。

 上の写真は亀甲墓と呼ばれ、屋根の部分が亀の甲羅のような形をしていて、亡くなると母の体に帰るとの思想から、母体をかたどったものではないかと云われています。古くは1600年後半に造られ、中国の影響を受けたものだそうです。
上の写真は沖縄で最も大きくその屋根の形から破風墓と呼ばれるお墓です。お墓の材質はサンゴで出来た石灰岩で、沖縄戦で銃弾によって痛んだ穴を補修した跡が多数ありました。この写真に見える中心の奥にも破風墓があり、社会的に地位の高かった人やご高齢で亡くなられた人はすぐそこに納められますが、一般の人が亡くなるとまず門番として写真の破風墓下段に納められ、時期が来ると少しずつ階段状になっている墓内部の上段に移され、最後に中央後方の破風墓に納めるそうです。また、この破風墓の右横に小さいお墓が配置され、幼くして亡くなった人や諸々の事情でこのお墓に入ることができない親族が納められているとの事でした。
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溝口